上野東照宮は神社とお寺どっち?違いを分かりやすく解説

今回は上野東照宮が神社なのか、お寺なのかといった違いについて紹介します。

神社好きの筆者が歴史的背景をもとに上野東照宮が神社かお寺かどうか詳しく書いていきますので、神社好きの方はぜひ読んでみてください!

本記事では、

「上野東照宮は神社とお寺どっち?」

「上野東照宮って神社なの?それともお寺なの?」

といった上野東照宮に関する疑問についてお答えします。

実際に現地を訪れた際の体験談と感想を交えながら、上野東照宮が神社なのかお寺なのか解説します!

貴重な情報をたくさん載せていますので、最後まで読んで参考にしてくださいね!

目次

結論|上野東照宮は神社!

まず最初に結論から言うと、

上野東照宮は神社です。

なぜ神社なのに上野東照宮の傍に「五重塔」や「鐘撞のお堂」があったりするの?と言った疑問をもつ人がいるかもしれません。

これは上野東照宮がかつて寛永寺の境内にあったためで、現在、「五重塔」や「鐘撞のお堂」がある上野公園がもともとは寛永寺の敷地だったためです。

寛永寺というお寺の境内に神社である上野東照宮があったため、神社かお寺かどっちなのか分かりづらい状況が生まれてしまったのです。

 結論の補足|上野公園はかつて広大な寛永寺の敷地だった!!

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そもそもお寺の境内に神社があっていいものなの?と不思議に思う人もいるかと思いますが、日本は古くから「神仏習合」という考えがあり、神社とお寺が共存していました。

日本の神道は古来、山や樹木、岩など万物の色々な現象を八百万(やおよろず)の神様として祀っていました。

そこへ6世紀頃、中国大陸から仏教が伝えられます。

「神仏習合」は簡単に言ってしまえば、仏様も神様の一種として扱い、仏教も神道とともに存在するよう認めた考え方です。

そして「神仏習合」のもとにかつて寛永寺の広大な敷地の中に多くの伽藍とともに神社である上野東照宮が創建されたのです。

残念ながら寛永寺は幕末の彰義隊の戦いの後、多くの敷地を失い、そのほとんどが現在の上野公園になっています。

そのため上野公園には寛永寺の名残がいたるところに見られるのです。

「五重塔」や「鐘撞のお堂」、「不忍池の弁天様」、「上野の大仏」などがその歴史をよく表していると言えます。

一般的な神社とお寺の違い|神社とお寺、簡単に言うとどう違う!?

つぎに一般的な神社とお寺の違いについて解説します。

前述したように神社(神道)は自然の八百万の神様を祀っていて、お寺(仏教)は仏様を祀っています。

宗教の違いが最も大きな違いです。

その他に、神社には入口に「鳥居」がありますが、お寺には鳥居がなく、「山門」があります。

また、お寺には墓地があるのに対して、神社には墓地がありません。

さらに大きな違いは、お寺の本尊は観ることができますが、神社のほとんどは祀っている神様を観ることができない点が大きな違いとなっています。

上野東照宮の歴史|徳川家康の魂が眠る神社!!

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つぎに上野東照宮の歴史について解説します。

上野東照宮は1627年(寛永4年)、寛永寺の敷地に創建されました。

創建したのは藤堂藩の初代藩主・藤堂高虎と天海僧正です。

徳川家康が臨終の際に、「自分の魂が永らく鎮まる場所が欲しい」との遺言から東叡山寛永寺が開山され、その一部に上野東照宮が創建されたのが始まりとされています。

その後、三代将軍家光が「日光東照宮まで遠くて参拝できない人々のために」と上野東照宮を日光東照宮に匹敵するほど豪華なものに再建。

明治時代になると神仏分離令で五重塔を寛永寺に譲渡するなど、敷地が小さくなったものの、幕末の上野戦争や関東大震災、東京大空襲にあっても奇跡的に戦火免れてその絢爛たる社殿は現在も受け継がれています。

上野東照宮の見どころ|燦然と輝く金色殿と樹齢600年を超す御神木!

最後に上野東照宮の見どころについて解説していきます。

上野東照宮の見どころは何といっても社殿の金色殿です。

日光東照宮と同じく権現造りの豪華な社殿は黄金色に輝いて圧倒的な美しさを誇っています。

金色殿見たさに海外から観光客が訪れるほどの人気です。

また、社殿の傍にある樹齢600年を超す御神木は、強力なパワースポットとしても知られ、見どころのひとつになっています。

その他に上野東照宮の参道には、江戸幕府への忠誠の象徴として各地の大名から贈られた巨大な石灯籠が並んでいて、今もなお江戸情緒が感じられる一帯となっています。

上野東照宮の参道にある「ぼたん苑」も風流を好む人にはたまらない見どころです!!

上野東照宮は神社とお寺どっち? まとめ

今回は、上野東照宮は神社なのかお寺なのか、その違いについて解説しました。

上野東照宮は神社ですが、かつて寛永寺の敷地内にああったため、お寺と間違われやすい傾向があります。

あまり知られていませんが、上野公園もその昔は広大な寛永寺の敷地の一部だったのです。

また、上野東照宮が神社なのかお寺なのか、判別しがたいのは、日本の「神仏習合」の考え方が大きく影響しています。

現在は明治から戦前までの「神仏分離令」のような考えはありませんので、神社もお寺もかつてのように共存する世の中ですが、歴史を知ると上野東照宮の時代背景が分かって参拝時の楽しみ方がより深くなります。

みなさんも上野東照宮を訪れる際は、上野東照宮が辿った歴史を想像しながら参拝すると、参拝の思い出が一層楽しいものになりますよ!

最後までご覧いただきありがとうございました。

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